渋沢栄一って誰!?って人に簡単に説明しますね!
渋沢栄一って誰?
[1840~1931]実業家。埼玉の生まれ。一橋家に仕えて幕臣となり、パリ万国博覧会幕府使節団に加わって渡欧。維新後、大蔵省官吏を経て第一国立銀行を設立。各種の会社の設立に参画し、実業界の指導的役割を果たした。
簡単にまとめていきますね!
ここがすごいよ渋沢栄一!!
- 渋沢家は染料や蚕を扱い、米、麦、野菜の生産も手がける農家であったが、14歳で染料の仕入れを一人で行う
- 7歳の時には四書五経や『日本外史』を学ぶ
- 神道無念流や北辰一刀流を学ぶ
- 徳川慶喜の幕臣となる
- 日本ではじめて株式会社を作る
- 大隈重信に説得され、大蔵省に入省する
- 改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる
- 予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、井上馨と共に退官
- 第一国立銀行(現在はみずほ銀行)の頭取に就任。多くの地方銀行設立を指導
- 多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上
- 対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案。
- 「私利を追わず公益を図る」の精神で、他の財閥と違い渋沢財閥作らなかった。
- 子爵を授かる
- 大隈重信らとともに日印協会の設立に携わり、第3代会長をつとめる
- 関東大震災後の復興のためには、大震災善後会副会長となり寄付金集めなどに奔走
- 男尊女卑の影響が残っていた女子の教育の必要性を考え、伊藤博文、勝海舟らと共に女子教育奨励会を設立、日本女子大学校・東京女学館の設立に携わる
- 1926年と1927年のノーベル平和賞の候補
- 井上馨内閣に大蔵大臣としての入閣を求められたが、辞退
- 日本銀行券(紙幣)の肖像の候補者として何度も選ばれる
- 韓国最初の紙幣の肖像画は渋沢栄一だった
これだけ書きましたが、まだまだ書ききれてません!
簡潔に説明すると
いろいろと抜けてますが、ご了承ください!
もともと家はいろいろやってる農家でした!
そこで才能を発揮する!
武術(神道無念流、北辰一刀流)や学問でも頭角をあらわす!
北辰一刀流といえば、坂本龍馬が免許皆伝を受けた千葉道場が有名みたいです!
武術を学ぶにあたって天皇\(^o^)/外国を撃退しよう!!
となっていろいろやらかしそうになるが従弟が止めてくれる。
そこからなぜか、徳川最後の将軍徳川慶喜の幕臣となる!
出張でパリに行って感銘を受ける!
大政奉還があったので日本へ帰還!
徳川慶喜から『これからはお前の道を進みなさい』と言われ
日本で初めて株式会社をつくるなど、
いろいろやり始めていたところ
大隈重信に誘われて大蔵省にはいる。
改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わったりするも
大久保利通や大隈重信と対立して退官!
退官後はもともとやろうとしていたことを実践!
多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上にのぼる。
第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現:東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫 など
他の財閥と違うのはお金を自分のところにいれないところ!
『私利を追わず公益を図る』
との考えを貫き通す!!
社会貢献活動も本当にいろいろとやってます!
様々な協会、財団法人、復興支援、義援金、女性の教育、に関わってます。
ノーベル平和賞にノミネートもされてます!
公共への奉仕が評価され、他の財閥の党首が男爵なところ
子爵を授かる!⇒爵位(五爵)の第4位
そして現代!!
2024年の紙幣改定により一万円札に渋沢栄一の肖像が採用される
大韓帝国で発行された初期の第一銀行券の1円、5円、10円券には当時の経営者だった渋沢の肖像が描かれていました。
なので今韓国がプリプリしてるみたいですが、いつものことなので
全く気にする必要はないです!
まとめ
正直渋沢栄一のことを僕は知りませんでした!
授業で習ったかもしれませんが、通り過ぎてしまっていたのだと思います。
今回調べていくうちに、本当にすごい人だなと思いました。
『私利を追わず公益を図る』
の通り、人の為、国の為、活動してました。
そこに私利私欲がまったく感じられません。
今ある大企業も渋沢栄一が関わったものがたくさんあります。
見習うべきことがたくさんありますね!!
徳川家を以前より身近に感じるようになりました。